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パキン、パキン、と小気味良い音が響く。

「それと…その横の青い花を取ってくれ」

 上司である日番谷の注文に、部下は、はいっと元気良く答えて花を摘んでいく。

「これで、宜しいですか?」
「あぁ。これで良い。悪かったなこんな事をさせて」

 いいえ、趣味ですから。と、にこやかに笑う男は園芸が趣味なことで、10番隊内では有名な男である。

「…雛森副隊長へですよね?」
 
 花束を持ちやすいように包みながら、隊員は少しためらうように尋ねる。日番谷は短くああ、と答えた。その曖昧な笑みを見て、隊員は無言で包みを渡した。
 少し大きくなりすぎた花束を抱えて、日番谷は四番隊舎へ向かう。目的は当然三日に一度と決めている見舞いと――
 彼は、袂に入っているそれを確かめる。
 故郷から贈られてきた守り袋を雛森に届けるためだ。
 日番谷と雛森が育った流魂街は番号が若く、治安の良い土地だった。来たばかりの幼い子供は、心ある大人の集団に保護され育てられる。2人の面倒をみてくれた老婆も柔和な人柄で、二人が誤って花瓶を割ってしまった時も、叱るよりも先に怪我は無いかと心配してくれるような人だった。血の繋がりの無い自分達を実の孫のように可愛がってくれた…二人にとっては乳母のような存在。
 その老婆が、雛森の身を案じて送ってくれた守り袋だ。
 いつものように、隊舎の門で訪問を伝えて通される。見慣れた長い廊下を歩いていると、奥から走ってこちらに向かってくる人物がいる。日番谷は眉をしかめる。見覚えのある顔。雛森と親しい五番隊の席官。
 彼女は日番谷に目もくれず、脇を走り抜けていった。
 ――少し、泣いていたな…
 何があったかはおおよその見当はついた。日番谷は、軽く息を吐いて扉の前に立つ。
 この時がいつも、一番緊張する。

「…あっ。シロちゃん」

 扉を開けた先には、布団の上に座って無邪気に笑う雛森が居た。その笑顔だけみれば、誰も彼女が変わってしまったなんて疑いもしないだろう。

「…ほら、土産だ」

 少しその笑顔から目を背けて、日番谷は花束を軽く投げた。雛森の目が輝く。

「わぁ」

 嬉しそうに、一つ一つ丁寧に花を愛でる。ずっと日に晒されてない白い指が青い花弁をつまむ。
 そして雛森は、その花弁を口にいれた。彼女の奇行に、日番谷は驚かない。
 藍染の信じがたい謀反。生死をさまよった雛森が目覚めた時、周りは安堵で胸を撫でおろした。しかし、彼女の様子がおかしいと気づくのに時間はかからなかった。
 精神の変調。記憶の欠落。どちらも軽度の症状だといえ、周りが動揺するには充分すぎた。
 ぷつ、ぷつ。花を食べる事に飽きた雛森は夢中で花をむしっている。日番谷は止めず好きにさせて、壁によりかかって眺める。楽しいか?例え、どんな答えが返って来たとしても自分には耐えがたい気がして、日番谷は口を開くことが出来なかった。
 全部花を散らしてから、雛森は顔をあげて日番谷を見た。

「ねぇシロちゃん。」
「何だ」
「外に行きたい」

 にっこりと笑う日番谷はほっとした。この密室で雛森といるのは、正直息がつまる――。






「突然の、それも私情による訪問。大変申し訳ない」
「兄に非は無い。謝る必要はない。それに私はともかく。兄らの訪問は我が家の庭師も喜ぶというものであろう」

 深々と頭を下げる日番谷に、朽木家当主は常と同じくそっけなく答えた。
 礼を述べながら、この男は「花も喜ぶ」などの表現は一生使わないだろうと思う。

「つまらぬ庭だがゆっくりされるが良い。私はまだ仕事があるので失礼する。じい、日番谷隊長を蒼洸に案内しろ」

 そのまま立ち去ろうとした白哉に日番谷は「あっ」と呼び止める。秀麗な眉を、ぴくりとさせて振り向いた気難しい同僚に、日番谷は言いにくそうに切り出した。

「その、、許可して貰っておいて何だが…雛森副隊長は……少し、正気ではないから貴宅の庭を荒らしてしまうかもしれないのだが…」
「かまわぬ。私はそもそもあの庭には赴かない。」

 話はそれたけか。愛想の欠片も見せずに切り捨てて、白哉は玄関を後にした。
 ――四大貴族が一つ朽木の蒼洸院といえば、尺魂界で三指に入る名庭園である。その美しさはあの死神の総隊長を務める山本元柳斎が、あしげに通っているらしいと噂が立つほどであるらしい。
 雛森があの病室を抜け出して、外に出たのはいつぶりだろう。日番谷ですら記憶が定かではない。彼女から自発的に外に出ようなどと言い出すのは尚の事珍しい。
 しかし問題は連れて行く場所で、雛森は以前に自分が行ったことがある場所だとすぐに飽きて帰ってしまう傾向にあることは経験上わかっていた。初めて行く場所が良い。それも、出来れば雛森の目を奪ってくれそうな美しい景観を備えた場所が。
 雛森には少しでも長い時間に外に出ていて貰いたかった。あの病室に篭っているだけではどうしたって、精神の回復は望めない気がする。
 悩みに悩んで、日番谷は『朽木』に頼んでみることにした。厳格で有名な六番の数を背負う男。駄目で元々の頼みであったが、意外にも彼は拍子抜けするほどあっさりと快諾した。
 雛森は先に庭に通されている。彼女が何かしていなければ良いが…。不安に思いながら、朽木の家の者に案内され石畳を歩く。
 辿り着いた蒼洸院は予想に反して庭園というよりは花園に近く、その幻想的な美しさは圧巻だった。
 色のない空に深い緑が映え、花々は色鮮やかに見る者を魅了する。広大な敷地は、まるでこの庭園がどこまでも続いているようだ。
 家主の性格からさぞ荘厳なものだろうと思っていたが、これは――。

「…あの、馬鹿っ!」

 言葉を忘れる瞬間はそう長くももたなかった。一律に高さが揃えられた垣根から、パラパラと花びら上に舞い上がった。
 おいおい。肝を冷やしながら慌てて日番谷は雛森の元へ駆け寄る。

「よせ…!約束したはずだろ!!」
「だって」

 人の手で丹念に育てられた花を、雛森は躊躇いもなく毟り取る。

「こうした方がキレイだよ」

 あどけない微笑み。まっすぐな瞳は何も映していない。日番谷は言葉を失った。
 抑えた手がすりぬけて離れる。

「! まっ…」
「日番谷様」

 客人を庭園に案内し終え、気配を消して影のように後ろに従っていた家人が一歩進み出る。

「恐れながら、旦那様からどのような行為があっても止める必要はないと仰せつかっております。朽木家当主が是といえば私どもが口出しすることは何一つございません。どうかお気になさらず」
「すまない…」

 日番谷は申し訳ない気持ちで一杯になりながら頭を下げた。
 雛森はそれらの様子を気にする素振りもなく無邪気に花をつまんでいる。それを見る日番谷の視線は苦々しい。
 ――雛森は綺麗になった。
 昔は総じて可愛いと評されていた雛森だが、今の彼女を見たら誰もが「綺麗」と形容するに違いない。
 美しく変化を遂げる外見とは裏腹に、心は童女のまま。
 空っぽの愛嬌。愛らしく微笑む瞳はその実誰も映してはいない。彼女の心は、あの日から止まったままだ。
 過去、藍染を盲目的に慕っていた彼女を見て、まったく胸に波風が立たなかったといえば嘘になる。だが、こんな結末は望んでいなかった。それどころか最も恐れていた事態。幼馴染の幸せのためなら、身を引くぐらいの覚悟ならいつだって持ち合わせていたのに。望んでいた笑顔は、こんな壊れたものではなかった筈だ。
  何か興味を引かれたものがあったのか、雛森が近くを離れた。
 
「…今日、旦那様が貴方がたを此処にお通したのは…、旦那様が貴方様と過去の自分を重ねているからかもしれません…」

 それと同時に口を開いた老人に、日番谷は驚いて振り返る。

「現在、旦那様がこの庭に立ち寄ることは滅多にありません。それでも当世髄一の庭師を雇い続けて、この庭の手入れを怠ったことは一度もございません。お客様をお通しすることも、ほぼ皆無でございます。山本元柳斎様に限りましては、一度お通しした所すっかり気に入られて、是非毎日でも通いたいと願い出られたのを止めて、一ヶ月に一度という約束でお通ししているのです。――ここは、亡き奥方が造られた庭園なのですよ」

 最後の言葉に、そうか。と納得した。
 お伽の国のように浮世から離れた箱庭は、優しい温かみに満ちすぎていて、日番谷の知るこの家の家主とは重ならない。
 再度、居たたまれなくなりながらも、日番谷の好奇心は少しだけ疼いた。朽木白哉の私生活の情報は少ない。

「奥様は、この庭をそれはそれは愛されていました。暇さえあれば、この庭の手入れをし、一日中眺められていました。時には暗くなっても屋敷に戻って来られない事もしばしばございました。体の弱い奥様を心配して旦那様が迎えに行ったことも少なくありません。この蒼洸院を歩く旦那様と奥様は、それは仲睦まじいご様子で…。この庭はいわば、2人の思い出の場所なのでございます」

 …やはり。来るべきではなかったのだ。
 知らなかったとはいえ、他人の大切な場所に土足で入り込むような真似をしてしまった。日番谷は自分の安易な判断を呪った。彼の苦渋を他所に雛森の楽しそうな笑い声が響く。彼の眉は、ますます深い皺を刻んだ。
 それまで遠い過去懐かしむように庭を眺めていた老人の視線が、日番谷を捉えた。
 
「…やはり旦那様は貴方とご自分を重ねられているのだと思います。晩年、床に臥して日増しに病み衰えていく奥様を見ていた旦那様はとてもお辛そうでした。あの気丈な方が、生まれてから唯一弱音を吐かれたのも、あの時限りでございます。‘日に日にあれは重みを失くし、私の手から零れていくようだ。自分の無力さを、思い知らされる‘と――…」


 零れていく。零れていくもの。日番谷の胸を貫かれた。

 雛森はどんどん綺麗になっていく。
 それはまるで、人間らしい感情をポロポロと惜しげもなく落としていっているせいのようで。
 余分なものが。苦しみも憎しみも煩悶も切り捨てられていく。
 その狂気のような清らかさ。時々、彼女は人間以外の何かに近づいているのではいかと思い恐ろしくなる…。


 そうか…ここは――
 時の止まった空間。
 朽木白哉の人に侵される事を拒みながら、守り続けている聖域。
 零れ落ちてしまったものを留めるための。
 零れて落ちてしまうものを、鎖でつないでおくための――。


「出すぎたことを申しました」

 年寄りの世迷いごと。どうか忘れて下さいませ。
 若輩の日番谷に古参であろう家人は丁寧すぎるお辞儀をして、その場を去った。老人の表情で、日番谷は彼が自分達を責めている訳ではないことをしった。老人のそれは、まるで孫を見守る祖父のように温かな慈愛にみちていた…。
 
「シロちゃん!」

 花に飽きたのか、雛森がこちらに駆け寄ってくる。

「あっ」

 しかし下を見ていなかった彼女は、石畳につまずいて転倒してしまった。日番谷は足早に傍によって「大丈夫か」と声をかける。助け起こして傷を見ると、幸い浅いカスリ傷だった。
 そこでふと、日番谷は思い出して懐から袋を取り出す。

「ほら、馬鹿桃。お前がいつまでもボケッとしてるから、怪我をしねぇように佳橋の婆ちゃんから贈り物だ。いつまでもあの人に心配かけてんじゃねぇぞ。甘ったれ」

 差し出した守り袋を、雛森は嬉しそうに手を取る。

「可愛い!」

 ちりめん生地が気に入ったようだ。指でつまんでしげしげと見回す。
 彼女はにっこり笑いながら日番谷に話しかける。

「でも、佳橋のお婆ちゃんって誰?」

「…っ」



 …あぁ。

 掴んでもすり抜けていく。

 押さえつけるように縋っても、自分の知る彼女が消えていく。


 パリンッ。と
 
 幼い頃、壊した花瓶が割れる。

 破片がさらさらと、細かな粒子となって流れ落ちてくる。

 手のひら広げても、指の隙間からすり抜けて

 


 それでも、もう一度手のひらを広げる。


 何も残らない。欠片も。



 日番谷は緩く、首を降った。


「帰ろう。雛森」

   end